念彼観音力


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2009年04月04日(Sat)▲ページの先頭へ
念彼観音力―彼の観音の力を念ずれば(10)

例の人物が本物かどうか、
どうしても確かめてみたくなり、
昨日、確認に出かけてきました。

やっぱり、偽者でした。
彼には神通力などありません。
ただの怪しい詐欺坊主。
最後に、私が、
「Hさんは、その石、鎮宅霊符神言うてはりましたけど」
と言うと、
彼は、ニヤッと笑いました。
それが、「いやあ、バレちゃったか」という笑いで、
「あーあ、やっぱりな」
と、私はがっかりしてしまいした。

けど、しゃあないですわ。
そんなん、信じた自分がアホなだけですから。
ボカビシャビノシャノ


2009年03月23日(Mon)▲ページの先頭へ
念彼観音力―彼の観音の力を念ずれば(9)

さて、果たしてなのです。
私が出会ったお方が、嘗て私が出会ったお方と
同じ神通力の持ち主なのか、
そこの所が甚だ怪しくなってきたのです。
私は信じたかっただけなのではないか、
だからこそ、常人ならば怪しいと思うことすら、
怪しいと思えなくなっていたのではないか、
そんなふうに思えてならないのです。
不信の思いは一週間の後に始まりました。
二十二番札所の和尚さんに会って
お礼を述べたときのことです。
「先日は、御紹介戴きまして、ありがとうございました」
「いいえ。それで、どうでした?」
「ええ、『わしが治しちゃる』とおっしゃって下さいました」
「そうですか。で、どんな霊障でした?」
「いえいえ、私がお尋ねしたら、『何、霊障?そんなもんは何でもない』
と全く問題にされていませんでした。流石ですね」
「そうですか。生まれつき霊感が備わっているそうですからね」
「えっ、そうはおっしゃっていませんでしたよ。
何でも鳴滝に打たれて感応を得たとか。
床下から出た不動明王の化身とかいう石も、見せて貰いましたよ」
「えっ、床下から出てきたのは元は愛媛にあったという鎮宅霊符神でしょ」
「いいえ、そんな話はされていませんでしたよ」
とまあ、こんな具合に話が食い違っているのです。
勧められた漢方薬を飲ませ、
勧められた山にも詣でていましたが、
一向に変化がありません。
「二週間もすればよくなるよ」というのは完全に嘘でした。
むしろ、良くない事が継続して次々に起こり続けています。
私の目は白内障だと言われるし、
自動車のタイヤはパンクするし、
お客は減ってしまうし、
猫は、また死にそうになっているし、
まあ、ろくでもないことが続いています。

でも、それもまた人生ですよね。
思い通りにいかなくても、
それはそれで受け入れて対処していけばいいのですよ。
そうやって、心を磨くのが人生の目的なのですから。
と、悟りを得た人のように達観できればいいのですが。

まだまだ、良くない事が続きそうな気がしてなりません。


2009年03月04日(Wed)▲ページの先頭へ
念彼観音力―彼の観音の力を念ずれば(8)

この世の中には、
衆生を済度せんがために生まれてこられた
菩薩のような方がいらっしゃいます。
神通力を備えた、特別なお方です。
こうした特別な、お方の存在は、
ごく限られていますから、大半の人は、
出会う機会すらなく過ごしている筈です。
私は、たまたま昔、そうしたお方に出会うことができました。
ほとんど勉強らしい勉強をすることもなく、
高校や大学に合格できたのも、
このお方のお蔭だと思っています。
尤も、私のクラスにいたS君は、
私よりもずっと成績は悪かったのですが、
ご両親が、このお方に頼み込み、
図々しくも東京大学に合格してしまいました。
わが出身校の奇跡と言われた出来事も、
実のところは、このお方の神通力だったのです。

心配しなくてもいいですよ、S君。
世間の人は、誰もが君の「実力」を認めていますから。

私自身も大いに助けて貰っておきながら、
S君のことを言うのは卑怯ですよね。

さて、そのお方が亡くなられて、既に十数年。
今度のように、ほとほと困ったときに、
そんなお方がいらっしゃれば、
と思っていたのは事実です。
というよりも、
どこかにそんなお方がいらっしゃらないか、と
ずっと捜し求めていたのでした。
そうして、とうとう、そんなお方に出会えたのです。
まさに、観音様のお導きという他ないでしょう。


2009年03月03日(Tue)▲ページの先頭へ
念彼観音力―彼の観音の力を念ずれば(7)

2月20日の金曜日、
私なりに訳した陀羅尼を持って、
西国二十二番札所のお寺を訪ねました。
そこで尋ねたのは、まず、
陀羅尼経にある御祈祷をして戴けるか、
ということでした。
個人のために御祈祷はしません、という御返事。
ならば、私がそれをしてもよいのか、
という質問をしてみました。
修行をしていない在家の凡夫がすべきことではない、
との御返事。
それでは、私はどうすればいいのでしょう。
そこで、陀羅尼の字句について質問をしてみました。
勿論、私があやふやに思っている箇所についてです。
すると、別の和尚さんを紹介して下さいました。
私は、その別の和尚さんに、
何故、訳出を試みたかの経緯を説明しました。
要は、妻の病気を治してもらいたい、という一心で
観音様におすがりしたということであり、
陀羅尼の訳はそのための手段に過ぎないということを、
その和尚さんは了解されたようでした。
以下は、そのやりとりです。
「原因も解らずに祈祷するのはかえってよくないでしょう」
「原因といっても、そうした霊障が見えるのは限られた方だけでしょう」
「それは、そうです」
「和尚さんには見えますか」
「私には無理です」
「では、どなたか、御存知ないですか」
「私が個人的に知っている方が、二人おられますが」
「御紹介戴けませんか」
私は、この和尚さんにすがり、御好意により、
さるお方を御紹介戴きました。
そして、翌週、2月24日の火曜日に、
私は妻を伴って、そのお方をお訪ねしたのです。
驚きました。
まさに、いらしたのです。私が捜し求めていたお方が。


2009年02月17日(Tue)▲ページの先頭へ
念彼観音力―彼の観音の力を念ずれば(6)

とまあ、この辺りまでは、何とか正しく訳出できたかと思うのです。
参考にしましたのは、
先に申しました圓山達音師纂述の「陀羅尼字典」と
二十年ほど前から手元にある中村元先生の「仏教語大辞典」です。
ところが、先の部分に続く次の字句がよく解らないのです。



一切応賢滅除者

道を求めるすべての者に応(こた)えて、
(無明の闇を)取り除いて下さるお方です。


と訳してはみたのですが、



の部分がどうも怪しいのです。

インターネットの発達した今日ですから、
これが、どなたかの目に触れて、
正しく御指導戴けるかもしれません。
ともあれ、
このような怪しげな部分を、そのままにして
一通り訳出したものを、
近々西国二十二番札所のお寺に持参して、
改めて、教えを請おうかと考えております。
その顛末につましては、後日のお楽しみということで。


念彼観音力―彼の観音の力を念ずれば(5)

千手千眼観自在菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼

試訳出



南無三法

仏・法・僧を頼み、心より誠を捧げます。



南無聖観自在



菩薩摩訶薩

聖観自在菩薩摩訶薩を頼み、
心より誠を捧げます。




大悲者

(その観音様は)大きな心で
苦しみを取り除いて下さるお方です。




一切煩悩作断者

すべての煩悩を断ち切って下さるお方です。



一切衆生普護者

生きとし生ける者を、
普(あまね)く護(まも)って下さるお方です。




一切病苦能除者

あらゆる病苦を除いて下さるお方です。


念彼観音力―彼の観音の力を念ずれば(4)

さて、それからです。
この千手陀羅尼を、何とか読み解こうと思いました。
何とかして、読み解かねばならない。
読み解くことができれば、妻の病気は治る筈だ。
私は、そう信じ始めていました。
それにしても、何も解らないのです。
ともあれ、まずは梵字です。
何が何やら全く解らないのですから、
梵字が何であるかについて書かれた本を探しました。
これは、意外にも簡単に見つかりました。
しかし、梵字の書き方や読み方については書かれていますが、
肝心の陀羅尼の字句については、何も書かれていません。
それから、数週間後です。
表に密教大辞典を飾った、
カッパ横丁の古本屋さんのことを思い出し、
思い切って覘いてみることにしました。
その古本屋さんで見つけたのが、陀羅尼字典です。
あるじゃないか、ちゃんと。和尚さんの嘘吐き。
と、一瞬思いましたが、それよりも何よりも、私は嬉しくなりました。
まるで、私に見つけられるべくしてそこにあった、
というような気さえしてきたのです。

それから、悉曇の本と字典を並べ、
ともかくも訳を試み始めたのです。


2009年02月10日(Tue)▲ページの先頭へ
念彼観音力―彼の観音の力を念ずれば(3)

まだ、夏の暑さを引きずっている日盛りに、
観音堂の前でお経をあげていると、
涼やかな風が吹いてくるのです。
妻がそんな風になっていても、
私たちには、なんとなく幸せな時間が
流れているように感じられました。
確かに、ここには観音様がいらっしゃる、
私が、そう確信した所以です。

秋に入って千手陀羅尼を手に入れたものの、
私は、それを読み解く術もないまま、
ある朝、思い切って、
その陀羅尼を、やみくもに唱えてみたのです。
すると、どうでしょう、その日病院に出かけると、
何と、妻は朝から編み物をしていたというのです。
パーキンソン症もなくなっていました。
驚くばかりの回復です。
彼女は、すっかり爽快な気分になっていました。
勿論、薬の処方を変えたことに因るものだとは、
認識していましたが、これほどまでに変わるとは。
私は陀羅尼の力もあるのかなと思ったのです。

ところが、その数日後、妻は、ひどい不安に苛まれ、
再び夜も眠れなくなってしまったのです。
薬を急激に減らしたことが原因だと思われましたが、
同時に、それだけではないようにも思われたのです。
何の修行も出来ていない身でありながら、
皆目意味も解らずに陀羅尼をあげた私に対する勘違いに、
観音様が気付かれたのかもしれないと思いました。


2009年01月30日(Fri)▲ページの先頭へ
念彼観音力―彼の観音の力を念ずれば(2)

それから、私の「観音詣で」が始まりました。
基本的に毎日、妻を見舞いに出かけ、
その度に、隣のお寺にお参りに行きました。
やがて、妻の外出も許可されるようになり、
二人してお参りができるようになりました。
そんな、ある日、お寺で売られていた
「千手陀羅尼」の経本が目に留まったのでした。
それは梵字で書かれていました。
私には梵字の知識が全くありません。
「このお経に訳はついていないのですか」
私は、そこにいた若い和尚さんに尋ねました。
「あったら、私が欲しいくらいですわ」
と、その和尚さんは笑って答えられました。
「そしたら、意味は?」
「解りません」
「陀羅尼の辞典とかないんですか」
「ないですね。持っていませんわ」
「そうですか」
私は、まあそんなものなのかもしれないなと思いつつ、
500円という安さも手伝って、
とりあえず、その経本を買い求めたのでした。




2009年01月20日(Tue)▲ページの先頭へ
念彼観音力―彼の観音の力を念ずれば(1)

今、男有り。
その妻、心を病みぬ。
男、観音に救いを求む。

昨年の春、妻が鬱病と診断されました。
近くの町医者に通っていたのですが、病状は一向によくなりません。
夏、妻は安定剤やら睡眠剤やらを多量に服用、
救急車を呼ぶ羽目に。
北京オリンピックの開会式の日の事でした。
その後、退院はしたものの、状況はひどくなるばかり。
全く寝ないし、食事も取らない。
とうとう水も飲まなくなったのです。
私は、観音経をあげ、観音様に救いを求めました。
しかし、それで治る筈はありません。
覚悟を決めて、精神病院に入院させることにしました。
朝一番で飛び込んだ病院では、医師が初めて親切に接してくれました。
しかし、病床が空いておらず、町医者に紹介された別の病院に。
その病院では、真っ先に費用の話。
私たちをさんざん待たせた挙句、登場したのは、若い大学出たての女医。
通り一遍の質問と教科書通りの処置をしようとする始末。
こんなガキ医者に大事な女房を任せられるか、と
腹を立てた私は、さらに別の病院へ。
もう夕方になっていましたが、その病院は妻を受け入れてくれました。
妻も、抵抗せずに、その病院なら入院すると言ってくれました。
先の二つの病院は絶対に嫌だと言っていたのです。
病院の隣は西国二十二番の札所。
私は、これぞ観音様のお導きだと思いました。